まっすぐな、わたしのせかいで

発達障害のわたしが生きている世界を綴ります。

ブログを始めたきっかけ

初めての投稿というのは、なかなか緊張します。まったく何から書けばいいのやら...といったところですが、今回はブログというものを始めようと思ったきっかけについて、簡単な自己紹介等を交えながら書いてみようと思います。

わたしは、広汎性発達障害自閉症スペクトラム障害)というものに加えて双極性障害強迫性障害というものを抱えており、なかなか困難に満ちた人生を歩んできました。

風貌が子供っぽいせいか未成年と間違えられてしまうので年齢を知られるのはいささか恥ずかしいのですが、そんなわたしも今年の夏に28歳になります。28年という短いようで長いような星霜を経たことでようやく見えてきた、わたしという一人の人間のことを"ほかの多くの人たち"に知って欲しいと思ったのがブログを開設した大まかな理由です。

ここであえて”ほかの多くの人たち”と強調をしたのは、先ほど書いたようにわたしには発達障害があり、さまざまな物事の見え方や感じ方が多くの人たちと違うからです。

この社会は"ほかの多くの人たち"の見え方や感じ方などが基準となって作られているので、多くの人たちは色々な悩みを抱えながらもとくに大きなやりづらさを感じることなく、その社会の中で上手く自分の居場所を見つけて成長し歳を重ねていくことができるのだと思いますが、わたしはどれだけ頑張ってもそのようにできません。

なぜなのでしょう。ここで徒競走を例に出してみようと思います。

おそらく多くの人は「位置について、よーい…という掛け声とピストルの音で走り始め、相手のレーンには入らず自分のレーンの中をゴールに向かって走る」ということがそれとなくふつうにできるのだと思いますが、我々自閉症者(自閉症スペクトラム障害者は長いのでこう呼ぼうと思います)は、まず最初にピストルの音にびっくりしてしまうと同時にその音が頭にずっと響いてうるさくてとても走るどころではありません。

そして、なんとか走り始められたはいいけれど今度は他の人のレーンを走っちゃいけないなんていう目には見えないルールがよく分からず、レーンの境目なんてお構いなく周りの人に白い目で見られながらも一生懸命手を振ってひたすら前に向かって走ります。

と言っても、運動はまったくできませんから一生懸命に走っているのになかなかゴールに辿り着きません。
それでもなんとかゴールしましたが、当然ビリで最下位。おまけに、他の人のレーンを走ったことの注意まで受けてしまいます。(もちろんすべてわたしの実体験です...)

こんな風にわたしとしては一生懸命頑張ったのにもかかわらず、どうしてなのか多くの人と同じようにあるいは歩調を合わせて、やることができないのです。

それでも、いまもこうしてこの社会で日々生きています。血の滲むような沢山の工夫と努力が必要でした。

しかしこの先もこんな風に頑張り続けられるのか、とてつもない不安に襲われます。自分では充分ここまで頑張ってきたという思いがあり、もうこれ以上頑張れないからと、自ら命を絶とうとしたことも幾度となくあります。

発達障害によって作られた、家族など近しい者も含めた周りの人たちや世界と自分との間にある、底の知れない大きな溝のようなものを、4才という幼い年齢で既に感じていたわたしはその溝を必死に埋めようととにかく頑張り、なんとか成人を迎えたものの気がつけば先に挙げた精神疾患を抱えてしまうようになりました。

その後、何度か入退院を繰り返しつつ現在も一年の3分の2くらいはうつ状態で過ごしています。

先日も3ヶ月ほどかかりつけの病院の閉鎖病棟で療養しました。その時わたしの担当だった主治医の先生との出会いがとても大きく、それをきっかけに"これから自分はどう生きてたいのか"ということについて入院中にずいぶん考えました。

そして出た答えは、”わたしは、わたしのままでいる”ということでした。もしもこれからも底が見えない溝を埋めようとひたすらスコップで土をかけていたら、もうそれだけでわたしの一生が終わってしまうと思ったからです。

自閉症スペクトラム障害のことについても学ぶにつれ、今では、もしかしたら元々底なんていうものはなかったのかもしれない...とすら思います。

それなら、わたしは自分だけのちいさな世界で自分のルールに従って好きなようにのびのびとやっていけばいいのではないかと思うようになりました。そして、たまに気が向いた時に望遠鏡を取り出してまわりの自分とは異なる世界の様子を観察してみたり勉強してみたり、ときにはできる範囲で交流をしてみればいい、と。

しかしそうなった時、わたしは多くの人(=定型発達の人)の考えてることについては本を読んだり話を聞いたりして知識を蓄えてきたのである程度把握していますが、逆にわたしたち自閉症者がどのように感じたり考えているのかというのは定型発達の人たちはあまり知らないようで、それでは交流が上手くできるか分かりません。

実際に今まで他者との交流はほとんど失敗ばかりでした。もちろん発達障害の人と定形発達の人の両者の数は違い過ぎますから、知らないのは当然といえばそうなのですが。

でも、”わたしは、わたしのままでいる”ためにはこの問題をどうしてもクリアしなければなりません。

そこで、定形発達の人と同じようにはできないわたしや他の障害者の方たちがこれからもこの社会で生き延びていくために(もちろんその権利はあるはずなのです)、まずは自分のことを伝えていかなくちゃ、知ってもらわなくちゃ!というなかなか切実な思いに駆られて、ブログを開設するに至りました。

そもそも自閉症スペクトラム障害とは何なのかという説明をまだしていないことに気がつきましたが、それについては次回くらいに書いてみようと思います。

ただここでいくつか述べておくことがあるとすると、わたしの場合は知的な遅れとことばの遅れがないということと、それを除けば基本的には古典的な自閉症と同じ特徴を有しているということです。

その特徴というのも人によって濃淡や強弱があるので、これからこのブログに書いていくのはあくまでもわたしの場合でしかないのですが、基本的な土台のようなものは自閉症スペクトラム障害の人たちは一貫していると考えてもらっていいと思います。

そして自分は”定型発達の人に通じることば”を"定型発達の人と同じように"使うことができるという事実が、ブログに自分の障害のことを書く使命感のようなものをわたしに抱かせています。

知能とことばに遅れがない自閉症者として、自分の住む世界についてわたしなりのことばに翻訳して、たくさんの人に知ってもらえたらいいなと思います。もちろん、同じ発達障害を抱えている方たちにも何か参考になる部分が少しでもあるといいなと思います。


現在は退院し、自宅で生活をしています。
病院からの環境の変化に対応するのが予想以上に大変で、しばらく体調を崩してしまいましたが徐々に自宅の生活にも慣れてきました。

家の窓から見える桜が満開で、近くで見たいなぁ...とうずうずしていたので、元気になって散歩に出かけられるようになったのはとても嬉しいです。今日は風もなく穏やかな小春日和ですが、まだまだ寒いです。あたたかくして散歩に出かけようと思います。