まっすぐな、わたしのせかいで

発達障害のわたしが生きている世界を綴ります。

まっすぐで規則的なものや、反復するものはこの世界で一番美しい

わたしは幼い頃から、まっすぐで、規則的なものや、繰り返すものに途方もなく惹かれ、こだわって生きてきました。

こんなこだわりは自分だけなんだろうなとずっと思っていたので、これが自閉症の典型的な特性と知った時はとても驚きました。

今でもこのこだわりは姿形を変えずわたしと生活を共にしています。
というより、わたしはこのこだわりがあるからこの世界で生きていけるのだとすら思います。

なぜなら、常に不安に晒されてる自閉症者が安心できるものというのはまっすぐで、規則的なものや、繰り返すものだからです。

そして、この世界で一番美しいと感じるのもまっすぐで、規則的なものや、繰り返すものたちです。

なのでわたしの身の回りのほとんど全てのものは、常にまっすぐ綺麗に揃えて置かれており、少しでも斜めになっていたら真っ直ぐに直さないと安心できません。

逆に言うと、曲線や、曲がったもの、不規則なもの、繰り返さないものというのはとても苦手で不安な気持ちになります。

まっすぐじゃないとどうしても嫌なのです。


自閉症の子が、色んなものを並べて遊ぶというのは知っている方もいるかもしれませんが、わたしも例に漏れずそうでした。

そしてわたしの場合はやはりまっすぐ、規則的にというのが重要なので、まっすぐに等間隔に揃えて並べていきます。
並べる順番の規則も色々変えて楽しみます。

例えばビー玉やおはじきを並べるのに、
青青青緑緑緑赤赤赤
と並べるのが一番のお気に入りだけど、

と並べるのもいいなぁ...といった具合に。

と、そんなところへ母がやってきて「この並べ方はなんていうか知ってる?」と、二つ目の方の並びを指差して聞いてきます。
わたしは全然知らなかったので答えを聞きました。

「互い違いっていうんだよ」

....というやり取りをしたのは、小学校1年生ごろ、いつかの土曜日の夕方祖母の家でのことです。
今でも、映像を見てるかのようにはっきりとよく覚えています。

これも自閉症の特徴のひとつですね...

そうしてその時を境にわたしの中の規則的シリーズのなかに「互い違い」というものが定着し、生活の中でも使っていくようになりました。


また、反復するものが好きというのも定型発達の子からすると、何が面白いのか不思議に思われるのかもしれませんが、わたしにとっては〇〇ごっこをするよりも魅力的に感じるのです。

例えば、電車の車輪や車のタイヤ。
電車の車体や車のボディよりも、わたしは車輪やタイヤに目が釘付けになり、ずっとずっと見ていたい気持ちになります。

そんな訳で、自分は女の子なのに我が家には機関車トーマストミカのおもちゃがありました。

機関車トーマスで遊ぶ時は、レールなどを繋げてトーマスなどをセットしてスイッチを入れたら、わたしは床にうつ伏せになって恍惚とした気持ちで何周も回るトーマスの車輪を眺めます。

ミニカーは父がくれたフォルクスワーゲンのものでした。

それはテーブルの上で走らせるのですが、不規則な動きはさせたくないので、テーブルの木目に沿って行ったり来たりさせながら、やはりタイヤの部分を眺めてはうっとりします。

幼い頃から、こうして一人で遊んでいても退屈するどころか、むしろ幸せな時間でした。

とにかく何にせよこだわりの強い子だったので、誰かと遊ぶと自分のペースで好きなようにできず、時にはこだわりをじっと堪えなければいけない時もあり、とてもストレスでした。


大人になった今、もうこうした遊びはしなくなりましたが、数独などのパズルゲームをしたりとまた違った遊びを楽しめるようになったかなと思います。

でも、プラレールは欲しいなと密かに思ってしまいます...


さて、昨日から5月になり、今日は初夏のような陽気です。

退院して1ヶ月半ほど経ちますが、ようやく自分のしたいことができるようになるまで回復してきたかなと思います。

でも、まだまだ悪い日もたくさんあるのでコツコツ生活を頑張ろうと思います。

最近のこころの中

わたしの大好きな、新緑の美しい季節がやってきました。

草も、木も、花も、虫たちもみんな青空とお日様に向かって嬉しそうにしています。

わたしはその様を見ると、胸がいっぱいになります。

今日も、外の自然の色彩を見たり匂いを嗅いだり風を感じたくて、お散歩へ行ってきました。
と言っても外出したのは1週間ぶりくらいです。

本当は毎日お散歩へ出かけたいのですが、なかなか心と身体がいうことを聞かない日々です。


今は世界各国でコロナウイルスが猛威をふるい日本でも日に日に感染者数が増加しており、先日政府が緊急事態宣言したばかりです。

これから書くのは、自閉症スペクトラム障害ASD)を抱えた自分が今このような状況の世界に対して感じていることです。


「外出自粛」という言葉が登場したのがいつだったか忘れてしまいましたが、きっと今年の流行語大賞になるであろうこの四文字の意味するところが判らず、いまだにずっと考え続けています。(もともと殆ど引きこもりのようなわたしには、外出を減らすも増やすもないのですが...)

それでも「自粛」や「控える」という言葉はとても曖昧な表現で、おそらく自閉症スペクトラム障害のほとんどの人が引っかかってしまう部分だと思います。

週に何回何分まで、などもっと厳密なルールや規則があると、きちんと遵守することができるのですが、詳細は日用品の買い物など目的に応じてといった程度のものでした。

家族は「近所の散歩くらいならいいんじゃない?」といった反応で、引きこもりがちなわたしが散歩に出かけるのを反対しませんし、政府も散歩はしていいと言っている。

でも、ニュースなどでは公園に行くことや屋外の運動は控えて、と言っている。

さらにインターネット上の人びとの意見を伺ってみると、外出してる人に対して
「意識が低過ぎる」「人の迷惑を考えてない」「人としてありえない」などといった声が。

そうか、人としての在り方を問われているのかこれは...と考えるが、全くピンと来ない。

結局どのようにすればいいのか分からず、延々と「外出自粛とは」について考え続けています。

「だから政府は自粛なんて曖昧なことをせずに外出禁止にすべき」
という意見も目にしますが、そうなるとASDの人々は大大大パニックを起こすので外出禁止だけはやめて欲しいと願うばかりです。

病院にも行かれない、散歩に行けない、コーヒー豆や野菜を買いに行けない。
あれもこれも普段通りじゃなくなる。

「今はみんなが我慢の時だから仕方がないでしょ」

そう思われるかもしれません。

しかしこの今の状況を把握して、察して、行動をするという定型発達の人たちが不安な気持ちの中でも普通にやっていることが、わたしはたったの一つもできていません。

そもそも、何が起こっているのかすらいまだに分からないのです。

いま日本や世界で起きていることを実際に起きていることとして認識するというのは、ASDのわたしからすると、とても高度な技術だと思います。

だから人によって危機感にばらつきがあるのも、仕方がないのではないでしょうか。

ウイルスというものは人の気持ちと同じように目に見えません。
それが人から人に感染する、自分がもう感染しているかもしれない、それを他人に移してしまうかもしれない、もしくは他人から移されてしまうかもしれない。

こういったことを頭で考えることはできたものの、わたしは想像することに障害があるため実体が掴めないまま終わってしまい、結局ただの机上の空論でしかなくなってしまうのです。

もちろん行動にもほとんど結びつけることはできないので、我慢と言われても、よく分からないものを我慢することはできません。

ただ、しょっちゅう手を洗うのは小さい頃からのわたしのこだわり行動なのですが、それが結果的に今は有意義な行動になっていて、なんだか嬉しいのか悲しいのか複雑な気持ちを抱きます。


わたしに起きた大きな変化と言えば、一日の多くの時間眠るようになったということです。

我が家にはテレビも新聞もないのですが、それでも世界で大変なことが起きているというのはきちんと知っています。
でも、何が起こっているというのをきちんと分かることが難しいです。

それなのに、あらゆる面での変化を敏感に感じてしまい、そんな中で自分を機能させるには多くの眠りを必要とするのです。

安心できる布団の中で、来る日も来る日も、たくさん眠ります。

起きている時は、猫と遊んだり話したり、本を読んだり、ピアノを弾いたり、チェスや花札で遊んだり、コーヒーを淹れて飲んだりおやつを食べたりします。


今のこの状況において、見えない先々に対しての不安や、感染するかもしれないさせてしまうかもしれないという不安を持つという以前の次元のところで、わたしは生きています。

まず世界が変化してしまったという事実だけで、無理なく呼吸をするのが大変なのです。

それ以上のことは考えられません。

ASDの人は、常にこの後どうなるのだろうというまだ続く今日に対しての不安があり、それに対してこだわり行動をすることで安心して、気持ちを落ち着かせます。

それでも気持ちが収まらなかったりするとに家族に対してパニックをぶつけたり癇癪を起こしてしまいます。

日常的に家族に、迷惑をかけたり困らせてしまうのです。

生活ではひとつひとつの行動で気持ちを切り替えなきゃいけない場面も多く、いわば毎日が闘いです。

そんなわたしができるのは、せいぜい家族に迷惑をかけないように気をつけることで、他の沢山の人びとに迷惑をかけないようにすることまではとても気持ちが及びません。

最近、この社会は定型発達の人たちの力で回っているんだなと改めて感じます。
申し訳ない気持ちと感謝の気持ちで頭が上がりません。

自分にも出来ることがあるのは分かっているのですが、この社会においてはどう頑張っても障害が目立ってしまうな、と思います。

なんだか、わたしは生まれてきた惑星を間違えてしまった気がしてなりません。

できるだけ周りに迷惑をかけないように、生きていたいです。

孤独について

誰しもが多かれ少なかれ孤独というものを抱えて日々生きているのだと思いますが、ASDの人々のそれは少し様相が違います。

 なぜなら、他者のことを"心で"理解することができないからです。

人間として生まれて人間社会で生きていかなければならないのに、他者の心や心情を理解できないというのは、「個性」と呼ぶには無理があるもので、わたしはやはり「障害」もしくは「欠落」と感じてしまいます。

そもそも、他者にも気持ちというものがあるということすら知らなかった私は、無自覚に周囲の人びとを不快な気持ちにしてしまってきたようです。家族や恋人からは、わたしの言動が余程ひどいものだったのか、何度も非難されたり否定されたりしてきました。
 
そんなとき、わたしは途方も無い孤独を味わいます。
 
自分は間違ったことを言っていないし、どうしてそれが分かってもらえないのか。
一体なぜわたしばかりがおかしいと言われなきゃいけないのか。

そういったことを延々と、ひとり考え続けます。



人間社会には、「礼儀」や「言葉遣い」をはじめとしたコミュニケーション上のマナーやルールなどが沢山あり、多くの人はそれらを成長と共に無意識のうちに感覚として身に付けていくものなのだと思います。

わたしは人と会話をすることはできるのですが、そういった暗黙の了解やルールが分かっていなかったり相手の心や心情が見えないが故に、人と話をするときは常に暗闇の中を階段を降りていくような状態でコミュニケーションをとることしかできません。

何かの拍子に足を外してしまう恐れがあり、とても危ないです。
わたし自身、強い不安を抱きながら会話をしています。

でもこれでもマシになった方なのです。子供の頃は、暗闇だろうと関係なくふつうに階段を降りていたのでそこら中怪我だらけでした。
今は、慎重に階段を降りることでなんとか大きな怪我は防ぐことができています。(多分...)


しかし、他者の心が見えず、それによって人と繋がれないというのは言葉にし難いほど孤独なものです。

この孤独というのは物理的なものとは種類が違います。
わたしは、物心がついた時、具体的には4才の頃からずっとこの孤独を抱えてきました。

他人にあまり関心がなくひとりで遊ぶことをとても好むのは今も昔も変わりませんが、それは半ば仕方がないからとっている行動でもあるのです。

他人にまったく興味や関心がない人間なんてこの世にいないと思います。
ただ、人と関わる方法を知らず技能を持ち合わせていないので、諦めるしかないのです。

幼稚園や小学校で同級生達が楽しそうに遊んでいるのをぼんやりと眺めては、わたしは世界の外側の人間だからあそこには入れないんだなと思っては悲しい気持ちになっていました。実際、幼稚園ではわたしが遊びに入るのをピシャリと拒否されたので...(その子の名前はいまだに忘れられません)

わたしは何度も何度も世界の中に入っていくことを試みましたが、まったく上手くいきませんでした。

結局また外側に戻ってきてしまったな、と落ち込んだりもしますが、きっとここがわたしの居場所なのだと思います。


わたしの世界には、人間はいませんが、美しい音楽があります。大小色んな動物がいます。豊かな自然もあります。そして、物語があります。
そこにいる限り、わたしは笑顔でいられます。わたしの全てを受け入れてくれるからです。

明日も明後日も明々後日も、そこでゆっくり一日を過ごします。

今日は、世界自閉症啓発デー

タイトルにあるように、4月2日は国連が定めた世界自閉症啓発デー(World Autism Awareness Day)です。

前の投稿ではブログを始めた理由について長々と書き連ねましたが、ちょうどいい機会なので今日はそもそも自閉症スペクトラム障害ASD)がどういったものなのかについて書いていこうと思います。

と言っても、わたしは広汎性発達障害と診断されてからまだ日が浅く、数冊ほど本を読んだりしたものの、今も自分の障害や特性について少しずつ学習しているところなので不勉強な点が多いと思います。

しかしながら、世の中に出回っている発達障害の情報というのは医療者側の人が書いた家族を含めた支援者向けのものが多く、そういう情報も大切ではありますが、当事者のわたしからするとそれだけでは定型発達の人々に理解してもらうにはいささか難しいと感じています。

なぜなら、定型発達の人々からすると異質と感じる特性はほとんど、ASDの人たちにとっては本能に近い感覚によって起こっているからです。

つまり、それを実感として理解してもらうには当事者が、どんな気持ちでどう感じてそうなるかというのをきちんと説明をしなければならないのです。

もちろんわたしにもどうしてそうなるのか分からないものもありますが、わたしは言葉の遅れがない上に、文章を書くということが好きなので、ほとんどの特性について自分の感覚を言語化して説明することができると思っています。

なので、わたしなりの解釈での説明にはなりますが、実際にどのように感じたりしているのかというのを知ってもらえるようにまずは基本的な部分から頑張って書いてみようと思います。


まず、最近よく耳にする「発達障害」という言葉がありますがこれは診断名ではなく総称で、この中に自閉症スペクトラム障害ASD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)などが含まれます。この下の図が分かりやすいです。

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このうち、わたしはASDと呼ばれるものに該当します。

細かい部分はよく分からないのですが、広汎性発達障害(PDD)と自閉症スペクトラム障害というのは同意義のようです。

前者は、さらに自閉症アスペルガー症候群などに細かく分類したものを含んだ総称で、
後者は、自閉症アスペルガーというものは虹の光の連続体(スペクトラム)のようにはっきりとした境目がないものとして2013年ごろから使われるようになったわりと新しい考え方のようです。

また自閉症アスペルガー症候群はどう違うのかという疑問についてはこちらを引用します。
以下、東京都自閉症協会による説明です。

自閉症とはどこが違ってどこが同じなのでしょうか

自閉症アスペルガー症候群はひとつながりのもので、どこかで厳然と二つに分かれるものではありません。幼児期には典型的な自閉症の特徴を持つ子どもが思春期になるとアスペルガー症候群の特徴が目立ってくる場合もあります。強いて区別して言えばアスペルガー症候群の子どもや大人は一見して障害があるようには見えないことが多いのです。話もできるし勉強なども人並み以上にできることがあります。人前で独り言を言ったり常同運動をしたりすることは稀です。一見自閉症にみえない自閉症といっても良いでしょう。


わたしは入院中に主治医の先生から広汎性発達障害と診断を受けたので、これまで広汎性発達障害と書いたり自閉症スペクトラム障害と書いたりしてきましたが、どちらも長すぎるので今後はASDとか、"自閉の人びと"といった愛称で呼ぼうかなと思います。

さて、ではこのASDの特徴とはどんなものでしょう。

それは、「三つ組みの障害」と呼ばれるもので大まかに説明することができます。

(1)社会性(対人関係)の障害
・非常識と思われる行動
・暗黙のルールが伝わらない
・協調性が少なく、人とうまく関われない
・正直すぎたり、感情表現がストレート

(2)コミュニケーションの障害
・話がかみ合わない、一方的になりがち
・人の話を聞けない
・表現が独特で堅苦しい、またはその逆
・表情から意図をつかみにくい

(3)想像力の障害
・相手の気持ちが読み取りにくい
・興味の偏り、こだわりが強い
臨機応変な対応、予定の変更が苦手
・同時に複数の処理ができない
・気持ちの切り替えが苦手

の3つがあります。

また、これとは別に感覚過敏というものがあります。
これは個人差があるようですが、音や光や匂いに敏感で、抱きしめられたり触れられることもあまり好みません。


わたしはこの障害の診断を受けたとき、安堵と絶望が混じったとても複雑な気持ちになりましたが、何よりもまず最初に抱いた気持ちは驚きでした。

なぜなら、1番目や2番目の社会性やコミュニケーションの特徴というのは当てはまる人も多く共感してもらいやすいかもしれませんが、この3番目の想像力の障害(こだわり行動)を抱えて周りに迷惑をかけてしまう人をほとんど見たことがなかったからです。
小学生のころクラスに一人はいたかもしれませんが...

それ以来、この3点セットを持ち合わせた人びとに対して同じ種族のような、同志のような、なんとも言えない不思議な気持ちを抱くようになりました。

知的に遅れがあったり言葉が話せない重度の自閉症の人たちもみんな共通してこの3点セットを持ち合わせているので、たとえ言葉が話せなくてもわたしは定型発達の人に対してよりも親密な気持ちになることができます。

これは入院中にお世話になった主治医の先生も仰っていたことですが、この3点セットを持ち合わせた自閉の人びとというのは、定型発達の人には理解しがたい、共通したひとつの言語のようなものを持っているのかもしれません。


ただし、この特性というのはあくまでも特性であって、性格とは違うので注意が必要です。

定型発達の人たちと同じように、自閉の人びとも多種多様です。

また、前回の投稿で書いたように一つ一つの特徴の強弱や濃淡があり、それも人によってさまざまです。

おとなしいASDの人もいれば、おしゃべりが大好きなASDの人もいます。

あまり笑わないASDの人もいれば、喜怒哀楽が豊かなASDの人もいます。

人の気持ちの変化に敏感なASDの人もいれば、鈍感なASDの人もいます。

なので、当事者としてはASDの人に対してあまりひとつの型にはめて欲しくないな...と思います。


というわけで、今日は世界自閉症啓発デーということにちなんで、この障害についてどういうものなのか書いてみました。
分かりにくかったでしょうか...

これから少しずつこれらの特性について、なぜそうなるのか、どう感じているかなどを書いていけたらと思います。



今朝は、朝からこだわりからくる癇癪を起こしてしまい暴力を振るったりしてしまいましたが、その後なんとか気持ちを切り替えることができ、一日過ごすことができました。

どうか、明日は穏やかに過ごせますように。

ブログを始めたきっかけ

初めての投稿というのは、なかなか緊張します。まったく何から書けばいいのやら...といったところですが、今回はブログというものを始めようと思ったきっかけについて、簡単な自己紹介等を交えながら書いてみようと思います。

わたしは、広汎性発達障害自閉症スペクトラム障害)というものに加えて双極性障害強迫性障害というものを抱えており、なかなか困難に満ちた人生を歩んできました。

風貌が子供っぽいせいか未成年と間違えられてしまうので年齢を知られるのはいささか恥ずかしいのですが、そんなわたしも今年の夏に28歳になります。28年という短いようで長いような星霜を経たことでようやく見えてきた、わたしという一人の人間のことを"ほかの多くの人たち"に知って欲しいと思ったのがブログを開設した大まかな理由です。

ここであえて”ほかの多くの人たち”と強調をしたのは、先ほど書いたようにわたしには発達障害があり、さまざまな物事の見え方や感じ方が多くの人たちと違うからです。

この社会は"ほかの多くの人たち"の見え方や感じ方などが基準となって作られているので、多くの人たちは色々な悩みを抱えながらもとくに大きなやりづらさを感じることなく、その社会の中で上手く自分の居場所を見つけて成長し歳を重ねていくことができるのだと思いますが、わたしはどれだけ頑張ってもそのようにできません。

なぜなのでしょう。ここで徒競走を例に出してみようと思います。

おそらく多くの人は「位置について、よーい…という掛け声とピストルの音で走り始め、相手のレーンには入らず自分のレーンの中をゴールに向かって走る」ということがそれとなくふつうにできるのだと思いますが、我々自閉症者(自閉症スペクトラム障害者は長いのでこう呼ぼうと思います)は、まず最初にピストルの音にびっくりしてしまうと同時にその音が頭にずっと響いてうるさくてとても走るどころではありません。

そして、なんとか走り始められたはいいけれど今度は他の人のレーンを走っちゃいけないなんていう目には見えないルールがよく分からず、レーンの境目なんてお構いなく周りの人に白い目で見られながらも一生懸命手を振ってひたすら前に向かって走ります。

と言っても、運動はまったくできませんから一生懸命に走っているのになかなかゴールに辿り着きません。
それでもなんとかゴールしましたが、当然ビリで最下位。おまけに、他の人のレーンを走ったことの注意まで受けてしまいます。(もちろんすべてわたしの実体験です...)

こんな風にわたしとしては一生懸命頑張ったのにもかかわらず、どうしてなのか多くの人と同じようにあるいは歩調を合わせて、やることができないのです。

それでも、いまもこうしてこの社会で日々生きています。血の滲むような沢山の工夫と努力が必要でした。

しかしこの先もこんな風に頑張り続けられるのか、とてつもない不安に襲われます。自分では充分ここまで頑張ってきたという思いがあり、もうこれ以上頑張れないからと、自ら命を絶とうとしたことも幾度となくあります。

発達障害によって作られた、家族など近しい者も含めた周りの人たちや世界と自分との間にある、底の知れない大きな溝のようなものを、4才という幼い年齢で既に感じていたわたしはその溝を必死に埋めようととにかく頑張り、なんとか成人を迎えたものの気がつけば先に挙げた精神疾患を抱えてしまうようになりました。

その後、何度か入退院を繰り返しつつ現在も一年の3分の2くらいはうつ状態で過ごしています。

先日も3ヶ月ほどかかりつけの病院の閉鎖病棟で療養しました。その時わたしの担当だった主治医の先生との出会いがとても大きく、それをきっかけに"これから自分はどう生きてたいのか"ということについて入院中にずいぶん考えました。

そして出た答えは、”わたしは、わたしのままでいる”ということでした。もしもこれからも底が見えない溝を埋めようとひたすらスコップで土をかけていたら、もうそれだけでわたしの一生が終わってしまうと思ったからです。

自閉症スペクトラム障害のことについても学ぶにつれ、今では、もしかしたら元々底なんていうものはなかったのかもしれない...とすら思います。

それなら、わたしは自分だけのちいさな世界で自分のルールに従って好きなようにのびのびとやっていけばいいのではないかと思うようになりました。そして、たまに気が向いた時に望遠鏡を取り出してまわりの自分とは異なる世界の様子を観察してみたり勉強してみたり、ときにはできる範囲で交流をしてみればいい、と。

しかしそうなった時、わたしは多くの人(=定型発達の人)の考えてることについては本を読んだり話を聞いたりして知識を蓄えてきたのである程度把握していますが、逆にわたしたち自閉症者がどのように感じたり考えているのかというのは定型発達の人たちはあまり知らないようで、それでは交流が上手くできるか分かりません。

実際に今まで他者との交流はほとんど失敗ばかりでした。もちろん発達障害の人と定形発達の人の両者の数は違い過ぎますから、知らないのは当然といえばそうなのですが。

でも、”わたしは、わたしのままでいる”ためにはこの問題をどうしてもクリアしなければなりません。

そこで、定形発達の人と同じようにはできないわたしや他の障害者の方たちがこれからもこの社会で生き延びていくために(もちろんその権利はあるはずなのです)、まずは自分のことを伝えていかなくちゃ、知ってもらわなくちゃ!というなかなか切実な思いに駆られて、ブログを開設するに至りました。

そもそも自閉症スペクトラム障害とは何なのかという説明をまだしていないことに気がつきましたが、それについては次回くらいに書いてみようと思います。

ただここでいくつか述べておくことがあるとすると、わたしの場合は知的な遅れとことばの遅れがないということと、それを除けば基本的には古典的な自閉症と同じ特徴を有しているということです。

その特徴というのも人によって濃淡や強弱があるので、これからこのブログに書いていくのはあくまでもわたしの場合でしかないのですが、基本的な土台のようなものは自閉症スペクトラム障害の人たちは一貫していると考えてもらっていいと思います。

そして自分は”定型発達の人に通じることば”を"定型発達の人と同じように"使うことができるという事実が、ブログに自分の障害のことを書く使命感のようなものをわたしに抱かせています。

知能とことばに遅れがない自閉症者として、自分の住む世界についてわたしなりのことばに翻訳して、たくさんの人に知ってもらえたらいいなと思います。もちろん、同じ発達障害を抱えている方たちにも何か参考になる部分が少しでもあるといいなと思います。


現在は退院し、自宅で生活をしています。
病院からの環境の変化に対応するのが予想以上に大変で、しばらく体調を崩してしまいましたが徐々に自宅の生活にも慣れてきました。

家の窓から見える桜が満開で、近くで見たいなぁ...とうずうずしていたので、元気になって散歩に出かけられるようになったのはとても嬉しいです。今日は風もなく穏やかな小春日和ですが、まだまだ寒いです。あたたかくして散歩に出かけようと思います。