まっすぐな、わたしのせかいで

発達障害のわたしが生きている世界を綴ります。

最近のこころの中

わたしの大好きな、新緑の美しい季節がやってきました。

草も、木も、花も、虫たちもみんな青空とお日様に向かって嬉しそうにしています。

わたしはその様を見ると、胸がいっぱいになります。

今日も、外の自然の色彩を見たり匂いを嗅いだり風を感じたくて、お散歩へ行ってきました。
と言っても外出したのは1週間ぶりくらいです。

本当は毎日お散歩へ出かけたいのですが、なかなか心と身体がいうことを聞かない日々です。


今は世界各国でコロナウイルスが猛威をふるい日本でも日に日に感染者数が増加しており、先日政府が緊急事態宣言したばかりです。

これから書くのは、自閉症スペクトラム障害ASD)を抱えた自分が今このような状況の世界に対して感じていることです。


「外出自粛」という言葉が登場したのがいつだったか忘れてしまいましたが、きっと今年の流行語大賞になるであろうこの四文字の意味するところが判らず、いまだにずっと考え続けています。(もともと殆ど引きこもりのようなわたしには、外出を減らすも増やすもないのですが...)

それでも「自粛」や「控える」という言葉はとても曖昧な表現で、おそらく自閉症スペクトラム障害のほとんどの人が引っかかってしまう部分だと思います。

週に何回何分まで、などもっと厳密なルールや規則があると、きちんと遵守することができるのですが、詳細は日用品の買い物など目的に応じてといった程度のものでした。

家族は「近所の散歩くらいならいいんじゃない?」といった反応で、引きこもりがちなわたしが散歩に出かけるのを反対しませんし、政府も散歩はしていいと言っている。

でも、ニュースなどでは公園に行くことや屋外の運動は控えて、と言っている。

さらにインターネット上の人びとの意見を伺ってみると、外出してる人に対して
「意識が低過ぎる」「人の迷惑を考えてない」「人としてありえない」などといった声が。

そうか、人としての在り方を問われているのかこれは...と考えるが、全くピンと来ない。

結局どのようにすればいいのか分からず、延々と「外出自粛とは」について考え続けています。

「だから政府は自粛なんて曖昧なことをせずに外出禁止にすべき」
という意見も目にしますが、そうなるとASDの人々は大大大パニックを起こすので外出禁止だけはやめて欲しいと願うばかりです。

病院にも行かれない、散歩に行けない、コーヒー豆や野菜を買いに行けない。
あれもこれも普段通りじゃなくなる。

「今はみんなが我慢の時だから仕方がないでしょ」

そう思われるかもしれません。

しかしこの今の状況を把握して、察して、行動をするという定型発達の人たちが不安な気持ちの中でも普通にやっていることが、わたしはたったの一つもできていません。

そもそも、何が起こっているのかすらいまだに分からないのです。

いま日本や世界で起きていることを実際に起きていることとして認識するというのは、ASDのわたしからすると、とても高度な技術だと思います。

だから人によって危機感にばらつきがあるのも、仕方がないのではないでしょうか。

ウイルスというものは人の気持ちと同じように目に見えません。
それが人から人に感染する、自分がもう感染しているかもしれない、それを他人に移してしまうかもしれない、もしくは他人から移されてしまうかもしれない。

こういったことを頭で考えることはできたものの、わたしは想像することに障害があるため実体が掴めないまま終わってしまい、結局ただの机上の空論でしかなくなってしまうのです。

もちろん行動にもほとんど結びつけることはできないので、我慢と言われても、よく分からないものを我慢することはできません。

ただ、しょっちゅう手を洗うのは小さい頃からのわたしのこだわり行動なのですが、それが結果的に今は有意義な行動になっていて、なんだか嬉しいのか悲しいのか複雑な気持ちを抱きます。


わたしに起きた大きな変化と言えば、一日の多くの時間眠るようになったということです。

我が家にはテレビも新聞もないのですが、それでも世界で大変なことが起きているというのはきちんと知っています。
でも、何が起こっているというのをきちんと分かることが難しいです。

それなのに、あらゆる面での変化を敏感に感じてしまい、そんな中で自分を機能させるには多くの眠りを必要とするのです。

安心できる布団の中で、来る日も来る日も、たくさん眠ります。

起きている時は、猫と遊んだり話したり、本を読んだり、ピアノを弾いたり、チェスや花札で遊んだり、コーヒーを淹れて飲んだりおやつを食べたりします。


今のこの状況において、見えない先々に対しての不安や、感染するかもしれないさせてしまうかもしれないという不安を持つという以前の次元のところで、わたしは生きています。

まず世界が変化してしまったという事実だけで、無理なく呼吸をするのが大変なのです。

それ以上のことは考えられません。

ASDの人は、常にこの後どうなるのだろうというまだ続く今日に対しての不安があり、それに対してこだわり行動をすることで安心して、気持ちを落ち着かせます。

それでも気持ちが収まらなかったりするとに家族に対してパニックをぶつけたり癇癪を起こしてしまいます。

日常的に家族に、迷惑をかけたり困らせてしまうのです。

生活ではひとつひとつの行動で気持ちを切り替えなきゃいけない場面も多く、いわば毎日が闘いです。

そんなわたしができるのは、せいぜい家族に迷惑をかけないように気をつけることで、他の沢山の人びとに迷惑をかけないようにすることまではとても気持ちが及びません。

最近、この社会は定型発達の人たちの力で回っているんだなと改めて感じます。
申し訳ない気持ちと感謝の気持ちで頭が上がりません。

自分にも出来ることがあるのは分かっているのですが、この社会においてはどう頑張っても障害が目立ってしまうな、と思います。

なんだか、わたしは生まれてきた惑星を間違えてしまった気がしてなりません。

できるだけ周りに迷惑をかけないように、生きていたいです。