まっすぐな、わたしのせかいで

発達障害のわたしが生きている世界を綴ります。

今日は、世界自閉症啓発デー

タイトルにあるように、4月2日は国連が定めた世界自閉症啓発デー(World Autism Awareness Day)です。

前の投稿ではブログを始めた理由について長々と書き連ねましたが、ちょうどいい機会なので今日はそもそも自閉症スペクトラム障害ASD)がどういったものなのかについて書いていこうと思います。

と言っても、わたしは広汎性発達障害と診断されてからまだ日が浅く、数冊ほど本を読んだりしたものの、今も自分の障害や特性について少しずつ学習しているところなので不勉強な点が多いと思います。

しかしながら、世の中に出回っている発達障害の情報というのは医療者側の人が書いた家族を含めた支援者向けのものが多く、そういう情報も大切ではありますが、当事者のわたしからするとそれだけでは定型発達の人々に理解してもらうにはいささか難しいと感じています。

なぜなら、定型発達の人々からすると異質と感じる特性はほとんど、ASDの人たちにとっては本能に近い感覚によって起こっているからです。

つまり、それを実感として理解してもらうには当事者が、どんな気持ちでどう感じてそうなるかというのをきちんと説明をしなければならないのです。

もちろんわたしにもどうしてそうなるのか分からないものもありますが、わたしは言葉の遅れがない上に、文章を書くということが好きなので、ほとんどの特性について自分の感覚を言語化して説明することができると思っています。

なので、わたしなりの解釈での説明にはなりますが、実際にどのように感じたりしているのかというのを知ってもらえるようにまずは基本的な部分から頑張って書いてみようと思います。


まず、最近よく耳にする「発達障害」という言葉がありますがこれは診断名ではなく総称で、この中に自閉症スペクトラム障害ASD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)などが含まれます。この下の図が分かりやすいです。

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このうち、わたしはASDと呼ばれるものに該当します。

細かい部分はよく分からないのですが、広汎性発達障害(PDD)と自閉症スペクトラム障害というのは同意義のようです。

前者は、さらに自閉症アスペルガー症候群などに細かく分類したものを含んだ総称で、
後者は、自閉症アスペルガーというものは虹の光の連続体(スペクトラム)のようにはっきりとした境目がないものとして2013年ごろから使われるようになったわりと新しい考え方のようです。

また自閉症アスペルガー症候群はどう違うのかという疑問についてはこちらを引用します。
以下、東京都自閉症協会による説明です。

自閉症とはどこが違ってどこが同じなのでしょうか

自閉症アスペルガー症候群はひとつながりのもので、どこかで厳然と二つに分かれるものではありません。幼児期には典型的な自閉症の特徴を持つ子どもが思春期になるとアスペルガー症候群の特徴が目立ってくる場合もあります。強いて区別して言えばアスペルガー症候群の子どもや大人は一見して障害があるようには見えないことが多いのです。話もできるし勉強なども人並み以上にできることがあります。人前で独り言を言ったり常同運動をしたりすることは稀です。一見自閉症にみえない自閉症といっても良いでしょう。


わたしは入院中に主治医の先生から広汎性発達障害と診断を受けたので、これまで広汎性発達障害と書いたり自閉症スペクトラム障害と書いたりしてきましたが、どちらも長すぎるので今後はASDとか、"自閉の人びと"といった愛称で呼ぼうかなと思います。

さて、ではこのASDの特徴とはどんなものでしょう。

それは、「三つ組みの障害」と呼ばれるもので大まかに説明することができます。

(1)社会性(対人関係)の障害
・非常識と思われる行動
・暗黙のルールが伝わらない
・協調性が少なく、人とうまく関われない
・正直すぎたり、感情表現がストレート

(2)コミュニケーションの障害
・話がかみ合わない、一方的になりがち
・人の話を聞けない
・表現が独特で堅苦しい、またはその逆
・表情から意図をつかみにくい

(3)想像力の障害
・相手の気持ちが読み取りにくい
・興味の偏り、こだわりが強い
臨機応変な対応、予定の変更が苦手
・同時に複数の処理ができない
・気持ちの切り替えが苦手

の3つがあります。

また、これとは別に感覚過敏というものがあります。
これは個人差があるようですが、音や光や匂いに敏感で、抱きしめられたり触れられることもあまり好みません。


わたしはこの障害の診断を受けたとき、安堵と絶望が混じったとても複雑な気持ちになりましたが、何よりもまず最初に抱いた気持ちは驚きでした。

なぜなら、1番目や2番目の社会性やコミュニケーションの特徴というのは当てはまる人も多く共感してもらいやすいかもしれませんが、この3番目の想像力の障害(こだわり行動)を抱えて周りに迷惑をかけてしまう人をほとんど見たことがなかったからです。
小学生のころクラスに一人はいたかもしれませんが...

それ以来、この3点セットを持ち合わせた人びとに対して同じ種族のような、同志のような、なんとも言えない不思議な気持ちを抱くようになりました。

知的に遅れがあったり言葉が話せない重度の自閉症の人たちもみんな共通してこの3点セットを持ち合わせているので、たとえ言葉が話せなくてもわたしは定型発達の人に対してよりも親密な気持ちになることができます。

これは入院中にお世話になった主治医の先生も仰っていたことですが、この3点セットを持ち合わせた自閉の人びとというのは、定型発達の人には理解しがたい、共通したひとつの言語のようなものを持っているのかもしれません。


ただし、この特性というのはあくまでも特性であって、性格とは違うので注意が必要です。

定型発達の人たちと同じように、自閉の人びとも多種多様です。

また、前回の投稿で書いたように一つ一つの特徴の強弱や濃淡があり、それも人によってさまざまです。

おとなしいASDの人もいれば、おしゃべりが大好きなASDの人もいます。

あまり笑わないASDの人もいれば、喜怒哀楽が豊かなASDの人もいます。

人の気持ちの変化に敏感なASDの人もいれば、鈍感なASDの人もいます。

なので、当事者としてはASDの人に対してあまりひとつの型にはめて欲しくないな...と思います。


というわけで、今日は世界自閉症啓発デーということにちなんで、この障害についてどういうものなのか書いてみました。
分かりにくかったでしょうか...

これから少しずつこれらの特性について、なぜそうなるのか、どう感じているかなどを書いていけたらと思います。



今朝は、朝からこだわりからくる癇癪を起こしてしまい暴力を振るったりしてしまいましたが、その後なんとか気持ちを切り替えることができ、一日過ごすことができました。

どうか、明日は穏やかに過ごせますように。